マッカーサ一元師閣下
昭和二十年十二月一日(一九四五年十二月一日)
日本国北海道根室郡根室町長
安藤石典
閣下に対し余は現在ソ聯の占領に係るゴヨマイ諸島並に南千島諸島の實情に付陳情することを衷心より光栄に存じます。
一、現在ソ聯軍の占領して居りますゴヨマイ諸島は北海道根室の一部にありまして歯舞村の区域であり千島諸島の内色丹、国後、択捉の三島は日本の封建時代よ り日本国土でありまして住民は父子相博へて三代乃至五代位も相続して居り一八七三年(明治七年)日本がソ聯と千島樺太交換条約を締結の際択捉海峡以北の諸
島を我領有となし樺太をソ聯の領有に帰せしめたるを以て旧來の択捉、国後を南千島と称し新に交換したる得撫島よりオンネコタン島迄を中千島と称し幌笹島、 アライト島、占守島を北千島と称するに至りました。
而して現在南千島の一に加へられて居ります色丹島はゴヨマイ諸島でありましたが千島、樺太交換条約の際被交換島嶼に居住して居りました土民は国籍選択の 自由の原則に従い日本国民たることを希望したる為凡そ二十戸を色丹島に移住せしめました其の為め色丹島は根室国の一部たるゴヨマイ諸島でありますのを一八 七三年(明治七年)以後殊更南千島に付け加へ現在に及んで居ります。
二、九月一日ソ聯軍は南千島及ゴヨマイ諸島に対し武力占領を行ひました而して住民の家宅捜索を行ひ金品を掠奪され又銃殺された者等もありますので不安に駆られ小舟艇にて根室町に逃避するものが続出し現在非常な数に上り別表の通りであります。
エトロフ島は根室町と距離遠く小舟艇にては航海不能の為め逃避し得す消息全く不明であります余等はエトロフ島民の安否を非常に気遣って居ります。
三、吾が根室港は南千島及ゴヨマイ諸島を水産圏内として水産業の中心地であります従って産業、経済、人情、風俗全く同一でありまして親子の関係にあります。
而してその距離に致しましても別図の如く極めて近距離にして地理的にも歴史的にも北海道に附属する小諸島であります。
四、然るにソ聯は以上の小諸島に対し保障占領にあらずして軍事占領を為し住民の自由を拘束して根室港との従来交通を禁し剰へ掠奪暴行の挙に出て住民の不安極度に達しエトロフ島の如きは全然消息不明の現状であります。
以上の小諸島は北海道でありますから速かに米国の保障占領下に置かれ住民の不安焦燥を除去し賜はらんことを切に懇願して歌まされる次第であります。
五、南千島及びゴヨマイ諸島はカニ、鮭等の生産多く戦争前は之等に依り缶詰を製造し盛んに貴国に輸出して居りました日本がポツダム宣言を忠實に履行する上 からも以上の諸島を米軍の保障占領下に置かれ余等をして安んじて是等の生業に就かしめ賜はんことを重ねて嘆願する次第であります。
以上、概要を申上げ閣下の御明鑑に憩へ一日も早く米軍の保障占領下に置かれんことを偏に梱願する次第であります。
閣下の御健康と貴軍の御安泰を御祈り致します。
歯舞村ゴヨマイ諸島戸数人口調 昭和二十年十一月十八日調
区分 | 終戦前の戸数。人口 | 終戦後の戸数。人口 | ||
戸数 | 人口 | 戸数 | 人口 | |
志発 | 300 | 1,768 | 81 | 344 |
多楽 | 184 | 1,181 | 3 | 15 |
水晶 | 138 | 884 | 75 | 520 |
勇留 | 64 | 459 | 48 | 317 |
秋勇留 | 14 | 80 | - | - |
計 | 700 | 4,372 | 207 | 1,196 |
千島諸島戸数人口調
区分 | 終戦前の戸数。人口 | 終戦後の戸数。人口 | ||
戸数 | 人口 | 戸数 | 人口 | |
(国後)泊 | 897 | 4,848 | 561 | 2,987 |
(国後)留夜別 | 515 | 2,633 | 297 | 1,475 |
色丹 | 187 | 820 | 126 | 475 |
(択捉)紗那 | 238 | 934 | 226 | 922 |
(択捉)留別 | 496 | 2,181 | 492 | 2,177 |
(択捉)蕊取 | 109 | 306 | 109 | 306 |
計 | 2,424 | 11,722 | 1,811 | 8,342 |
〔備考〕一、終戦後戸数、人口の減激したるはソ連軍占領し畏法して根室地方に逃避したる為なり
二、エトロフ島は根室と遠距離の為逃避し得ざるものなり
ソ連軍に銃撃を受け死亡したるもの
国後島泊村字ウエンナイ
前 泊村長 澤田喜一郎 五十七才
ソ聯兵が掠奪に侵入したるを以て之を阻止せんとして銃撃され死亡
昭和二十年十月初旬
色丹島ケツキヨ湾沖
漁業 児玉文吉 三十七才
漁業 岩崎義雄 四十一才
色丹島に居住し居りしかソ聯軍の占領に畏法して根室に逃避し来りたるも家財道具なき為め小舟艇にて之を取寄せに行きたる処ソ聯兵に発見せられ銃撃を受け死亡す
昭和二十年十一月十九日
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